毒親(毒父)と友達がいない、夢もやる気もないことが悩み

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好きなBGMまとめてみました。音が大きいので注意
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こんにちは。こそあどです。
 
 
 
今日は、毒親のいる小学生・中学生時代から
今の大学生に至るまでのエピソードを話していきます。
 
 
僕はずっと友達ができませんでした。
 
 
小学校まではクラスメートと仲が良かったけれど、
それは相手の気持ちを無視していた時期でした。
 
中学校の頃から、気にすればするほど遠慮していったのです。
しかし、親には友達を作れと言われていました。
 
 
けど、いわゆる毒親というやつでした。
もっと言えば毒父です。
 
 
 
ところで僕は、
まともに喧嘩をしたこともありません。
 
俺ガイル(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている)の比企ヶ谷と同じですね。
 
強いて言えば、姉と母親ぐらいでしょうか。
 
 
 
喧嘩するほど仲がいいという言葉の本質は、
それだけ本音を言い合う関係ということです。
 
本当にイライラして喧嘩が多いこともありますが、
やはり仲がよくても多少は喧嘩するでしょう。
 
 
 
喧嘩してないこととか、言いなりとか
機嫌を伺うとか
そこからまずコンプレックスでしたね。
 
そして主体性がない。
意見がないし、指示がないと動けない。
 
同級生に「お前は使えねえな」みたいな感じでディスられる。
 
先生にも「テストしかできないな」と言われる。
 
こじらせまくりです。
 
 
 
今思えば、運動神経が悪いと思っていたのも
練習に本気にならないことと、
頑張って失敗することへの恐怖が原因だったかもしれませんね。
 
 
 
 
ここからストーリー
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僕の父親は、すぐ怒っていた。
 
僕と関係ないところで怒って、
それを家の中に持って帰ってくることは日常茶飯事だった。
 
仕事帰りは度々怒っていて、
出迎えた犬を鬱陶しそうに追い払う。
 
犬はシュンとしていた。顔色を伺っていたと思う。
 
 
休日も、パソコンの問題が起きたらクレームの電話を入れる。
安いパソコンを買う自分のせいだ、とは思わない。
 
電話サポートが有料だと書いてあるだろうに、
有料であることにも文句を入れる。
 
 
保育園の頃から、よくキレるというイメージが定着していた。
僕も姉も敏感に察知しては近寄らないようにした。
 
何が理由で怒るかはわからないが、
怒っていることは、窓から見える歩き方とドアの閉まる音で把握できる。
 
一緒にいれば黙っているか、舌打ちをする。
父親がいる場所は、僕らの居場所ではなかった。
 
 
 
僕はずっと父親に恐怖していたと思う。
もちろん子供の頃は「パパ」と呼び、よく話しかけていた。
 
 
最近は、そもそも話しかけなくなっている。
 
 
 
父親は普段は穏やかに見える。
笑わないこともないし、変なダジャレも言う。
 
 
しかしすぐキレる。
運転を始めれば間違いない。
 
5分以内に一度くらいは他の車両にイライラしている。
それを口に出す。
 
 
だから僕らは母親っ子だった。
 
 
 
 
 
 
父親が一番キレる相手は、僕の祖母だった。
父親にとっての母親だ。
 
祖母はもともと耳が遠く、他の人間からも嫌われてしまっていた。
父親はそんな祖母に強い不満があると見えた。
 
祖母は僕らには優しく、お菓子をくれる。
普段は笑顔だが、祖母も普段からストレスがたまっているのか、たまにイライラしている。
 
一人の時は、たまに音もなく泣いていた。
 
 
父親が祖母に友好的に接する様子は見たことがない。
まず名前を呼ぶ姿を見たことがない。
 
祖母からは呼ぶが、父親は「おう! おう!」と呼びかける。
どんな時でも威圧的になってしまっている。
 
 
それを見ても怖かった。
 
 
僕の父方の祖父は、父親が小学生の頃に死んでしまったという。
30歳くらいだそうだ。
 
僕が生まれる30年くらい前のことだろう。
 
 
たまに母親が言っていたのは
「パパは子供との接し方がわからないんだって。」とか
「お父さんとできなかった野球をやりたいんだって」
 
ということだった。
 
 
 
 
だが、この野球への気持ちが、
僕にとっては最初のトラウマになった。
 
 
 
 
なのに、父親は僕とキャッチボールをやりたがっていた。
 
家族とは仲良くあるべきだ、という価値観だ。
みんなでキャンプをして、誕生日は祝って。
 
僕には運転免許を取らせ、将来は僕の運転で旅行に行きたいらしい。
 
 
 
 
キャッチボールも、
たまに付き合わされるだけならよかった。
 
 
しかし、小学校3年生の、冬ではない時期。
夏か、秋か。
 
いまだに覚えているくらいの出来事が起きた。
 
 
 
普段通り、ボールを投げていたが、
真上に投げて、それをキャッチするという練習をさせられた。
 
なぜするのかわからないし、
興味もないことなのでモチベーションも湧かない。
 
 
 
それでも頑張って投げていたけれども、日常的にやることではないから下手だった。
それを見て、「情けねえ」と父親は苛立ち始めた。
 
僕は頑張ってキャッチしようとしていたのだけど、
段々苛立たれて涙が出てくる。
 
 
その日は、夕方まで庭に追い出され、締め出しをくらった。
 
暗い庭で、
明かりをつけて真上にボールを投げて、キャッチできない時間が2時間くらい続いた。
 
 
意味がわからなかった。今でも意味がわからない。
 
どうにか泣かないように、機嫌を損ねないように意識しても
僕は我慢できず泣いた。
 
中学まで泣き虫は治らない。
 
 
泣いてはいけないというのは、小学3年生にもなれば感覚でわかっていた。
泣くと余計にキレるから。
 
 
姉にも「泣けば許されると思ってんじゃねえぞ!」と、
よく父親は怒鳴りながら叩いていた。
 
 
僕は周りよりもあっさり泣いてしまうようで、
怖いと泣くようにプログラムされているとしか思えなかった。
 
 
かっこ悪すぎる。泣き虫はコンプレックスだった。
学校でも、たまに涙が出てきそうになる。
 
 
それを「あくびだよ〜」、などとごまかすこともあった。
ただ会話しただけで泣きたくない。
 
誰かに気を使われる存在なのが嫌だった。
それからもずっと気を使われる人生だったけど。
 
 
 
 
 
そういえば、
僕は小学校に入ってすぐ、
興味もない野球クラブにも入れられそうになっていったっけ。
 
 
野球は何とか入らなかったが、他の習い事は強制的だった。
 
空手には、結局入れられた。
水泳にも入れられた。
 
僕はやる気もないのに入ったので、
全然頑張ろうという気分にならず、
なのに頑張らないと否定される。
 
 
余計に頑張らなくなった。
 
 
 
僕は頑張れない自分が、内心では嫌いだった。
頑張れないことは苦しいが、頑張る気がどうにも起きない。
 
 
どうにも空手で進んで練習しようと思えない。
唯一、父親が道場の外から監視している時だけは
 
恐ろしいので参加した。
 
 
 
監視されている時は、下級生と関わることすら怖かった。
 
ただ一緒にいるだけでも
「あいつに舐められている」などと言い始めるからだ。
 
 
 
その怒りは理解できないが、法則は理解した。
無意識に、人と関わるのは大変だと思ったかもしれない。
 
 
 
 
 
小学校で初めてぶちキレたのは、一年生の時のスキーだったかもしれない。
僕と姉は、まあ、やりたいから行ったわけではない。
 
 
だから「帰りたい」と言うのは不思議じゃない。
その時もとにかくキレた。
 
母親も、もう手がつけられなかっただろう。
 
激しい形相で、他のスキー客がいるゲレンデ(だったと思う)で
怒鳴ること怒鳴ること。
 
(さすがに14年くらい前の記憶、特に5歳や6歳となると曖昧だけど)
 
 
 
 
 
 
 
そんなこんなで、
僕は、人から怒りを買うことに強く反応するようになった。
 
怒りを買うことを何とかして避けていたと思う。
これに気づいたのは高校の高学年になって、自分について考えてからだ。
 
無意識に意見を言うことも、調子に乗って話しかけることも避けていた。
徐々に避けるようになった。
 
 
一部、話せる人間とは普通に話す。
そんな人間のできあがり。
 
 
 
 
お前のためを思って系のセリフを言われることもあった。
心配しているんだとかなんとか。
 
 
心配は常に自分のためにするものだ、ととある本に書いてあった。
僕はそれに納得した。
 
人は常に利己的であり、利己的と利他的が重なることがあるだけだ。
 
仮に僕のためを思ってだとしても、
結果的に僕が喜んでいないのだとしたら、
それは違うと言える。
 
 
 
特に、ニンテンドーDSのゲームソフト「スーパーマリオ64DS」
その説明書を無くしただけでキレたのは、その典型例だ。
 
(今でもゲームソフトの名前を思い出せるくらいには印象深い)
 
 
 
 
ゲームソフトを買い与えるのは自分のためなのか。
僕のためなら、僕が満足していれば問題ないはずだった。
 
 
 
僕もそこでゲームをやめればいいのだけれど、
小学生にとってゲームはコミュニケーションのツールみたいなところもある。
 
 
あと、他に熱中できることが何もなかった。
もっと家が本まみれだったら、違ったのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
僕は言われたことをやらされ、
自分の意見がなくなる一方だった。
 
 
意見がない。考えがない。
何をすべきかも、考えることができない。
 
 
自分よりも他人を優先してしまう。
 
 
それで理科の実験では
「お前が準備遅いから、あの器具とられるんだ!」とクラスメートにキレられ
「お前はやらなくていい」とまで言われる。
 
 
この他にも「お前いらねえ」系は何度か言われてきた。
同い年に言われるのが、とにかく辛かった。
 
泣く的な辛さではなく、うつっぽい辛さだ。
 
 
 
理科は、テストを解くだけならとても好きな科目だった。
面白い。
 
しかし、タネを植えるとかなると僕は嫌いで嫌いで仕方なかった。
何もわからなくなる。
 
 
何もわからないというのは、すべきことが全くわからない。
アルバイトで最初に勤務した時と同じように、全く見えない。
 
なのに周りは直感的にすべきことがわかる。
 
ただ状況を把握しているだけだけど、
僕は状況が把握できない。
 
なぜ、何をするのか? 
それを考えたことがなかった。
 
 
具体的に指示がなければ僕は動けなかった。
きっと、普段はそれでも問題なかったんだと思う。
 
 
言われた通りで問題ないから、考えない。
言われた通りにしないと問題だとも言える。
 
 
自信なんて当然ない。
信じるに値する自分がない。
 
 
この先の中学で、僕はモテなかった。
 
告白しても振られるとか、
仮に付き合えても「あの男子と付き合った方が幸せなんじゃないか」と他人を優先し始める。
 
そして取られたら嫉妬してる。
見せつけられて苦しくて仕方がない。
 
なのに自分は周りのおまけにしか見えなかった。
 
 
 
 
自分がいる必要性がどこにも感じられない空間が、
中学校の途中までずっと続いていく。
 
 
 
 
 
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中学以降は、追記していきますが
 
 
とにかく自信がないと友達ができない理由はこういうことです。
 
 
 
まず嫌われるのが怖いから、
親しくなんてなろうと思えない。
 
 
自分といて迷惑なんじゃないかとすら考えるから
話しかけることがまずない。
 
 
とにかく自信がないし、相手を優先しすぎる。
 
 
そして楽しい会話のコツも話題も共有できないし
基本的な価値観も共有できないので、
僕は変わった子みたいになる。
 
 
違う暮らしをしているのだから、
そりゃ変わった子になる。
 
 
「あいつ変だね」という雰囲気を出されるので
余計に自信がなくなる。
 
 
子供社会だと目立つほどディスられる。
 
 
 
 
 
 
僕のやる気が出ないし、もう人生終わったー
暇だーという時期も
 
根本的には主体性のなさがあったんでしょうね。
 
 
 
僕も今日書いたストーリーには薄々気づいていて
親のせいにしていましたが、
 
それだと苦しいままだったので、
今は勉強なりして
 
それなりの自信を手に入れました。
 
 
 
今の価値観だと、
見たくない現実を見ないのではなく
見たい現実に変えてしまえなのです。
 
 
 
 
あ〜楽しい人生だったと、
言って寿命を迎えられるように
 
今後も日々を充実させていきたいですね。


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中学生まで



_(┐「ε:)_< 神よ、お助け〜




高校生



( ´_ゝ`) 将来? 興味ないね



∩(´;ヮ;`)∩あ”あ”あ”あ”!!?



大学生



( ^ω^)祈る効果なさすぎワロタ
 諦⊂





( ^ω^)今まで諦めてたじゃろ
⊃) (⊂





( ^ω^)これを
≡⊃⊂≡




( ^ω^)こうして
⊃ .. ⊂

‘∵‘:’;



( ^ω^)三( ^ω^)動いて




\\٩( ^ω^)و //

こうなった件


自信作 無気力だった時期からの脱却

無気力レポート

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