善か悪で判断する自分は井の中の蛙だった物語

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こんにちは、こそあどです。
 
 
大抵の人は、無意識に善悪の縛りプレイをして過ごしてます。
 
ぶっちゃけ損してます。
もちろん得もあるかもしれないけど、損の方が多いのです。
 
今日は、そんな善悪の違和感に気づいた時の話をします。
 
 
善悪って小さい頃から教わりますよね。
「いい子にしてて」というフレーズは誰しも聞くでしょう。
 
例えば、その「いい子」というのは何か?
 
親の言うことを徹底的に聞く子供は「いい子」だと捉えるか、
それとも主体性がないと捉えるか?
 
 
 
その判断は、今までの知識や経験による視点で変化します。
 
 
僕はビジネスを始めるまでは、
いい子を目指して生きたりとかしていました。
 
なんでルールに従わないんだ!
そんなのやったらダメだよ!やめろよ!
 
そんな感じ。
 
 
 
ですが、これって起業してから
おかしな価値観だと思いました。
 
 
迷惑をかけるのが悪だとしたら
かなり行動が制限されるんですよね。
 
バイトを始めることさえ迷惑かかるのでは?
 
もはや、
赤ちゃんなんて睡眠時間奪うわなんだわで、迷惑の塊では?
 
 
でも、
絶対に迷惑をかけるな、
なんてルールはありません。
 
 
 
僕の親は、いわゆる安定を求める価値観で、
自分が知らないものは拒絶。
 
例えば、職業なら、医者になるとか薬剤師になるのを望んでましたし、家族は大事だとよく主張しています。
 
高学歴にして、大学を卒業させて、いいところ就職させるのが安定になるとも。
 
 
実はえげつないほど世の中のことを知りません。
知らないことすら知らないのです。
 
 
大企業はリストラしまくってるし、(万人単位)
仕事自体がどんどん減って、ITやツールが働く時代です。
 
そもそも公務員とかになれても、うつ病になって働けなくなる人もいますしね。
 
どうして安定する。安全だと思えるんだ? という話です。
 
 
 
例えば、高校時代、僕には友達がいませんでした。
 
僕の親は、「学生時代の友達は大事だ! 作れ!」と言っていましたし
僕も「友達いない自分はなんなんだ? 無価値なのか?」 
と考えていました。
 
でもダメですか? 一人でいるのは?
僕は起業してから友達いなくて助かったなーと思いましたよ。
 
 
もちろん一生孤独なのはどうかと思いますが
大学1年2年の僕に、友達はいなくて正解でしたよ。
 
流されてビジネスの勉強もできなかったかもしれないし、
合わせるストレスを感じていたでしょう。
 
僕は高校までと違って、ゲーム興味なくなったので、
ソシャゲのレベル上げとか苦痛なんですよね。
 
大学1年の時も、色々遊ぼうとしましたが
「こんなことしてる場合じゃねえ・・・」という気分になるだけでした。
 
 
僕は孤独でも普通に楽しかったんです。
我慢して孤独から脱出してなかったわけではありません。
 
なんで友達いるべきだ、と言うのかはわかります。
楽しいし幸せな気分になれるし、
思い出も残るからでしょう。
 
 
けど僕も、熱中できることが見つかってからは
楽しすぎて毎日充実して、前向きになっているのを感じました。
 
なぜサークルも行かず、休み時間もビジネスの勉強を僕はしてるのか。
 
知って見える世界が広がるのが面白いんです。
自分の価値が少しずつでも上がる感じが嬉しいんです。
 
明日は何をやろう? と思う日々と
ただ呆然と生きている日々では
楽しさのレベルが違います。
 
 
周りが「あいつは孤独だな」と判断しようが
それが不幸とは限らないのです。
 
 
 
僕はいいと思えないけど、
周りはいいと思ってるものは色々あります。
 
例えば、車とかマイホームとかです。
 
 
僕は自転車に乗ってのんびりと走るのが好きだし
他にやりたい運動もないので
自動車に乗りたいと思えません。
 
 
車って前の車や後ろの車への迷惑も考える必要ありますよね。
自転車はそこまで列を作って走りませんよね。
(部活の練習試合くらいでしょう)
 
固定資産税やら車検やらを払っても車を得るべきか?
僕は、雨の日の快適さ以外、自転車に満足してます。
 
マイホームだって、
サラリーマンなら仕事をやめられなくなるし
引っ越すしたくても、引っ越せなくなる足枷だと思っています。
 
 
タクシーやレンタルで十分というか
コスパを考えるとレンタルの方がむしろ安かったりする。
 
世の中的には、借りるってあまりいい印象ないですよね。
 
借金も悪い印象が強いでしょうが、
奨学金やローンも借金ですし、それでできることが増えているんですよね。
 
 
僕が伝えたいのは、
 
善と悪というのは視野が狭くなるということです。
 
これは悪だ、と決めてしまうことで、
「これは悪だから、できないなあ」と行動の幅が狭まります。
 
悪だと、意識していても、無意識で感じていても同じです。
すべき、すべきではないも同じ。
 
 
 
例えば僕は、
授業を休んでビジネスの作業をしたりしますし、
勉強に必要なら大学に行きながら8時間もバイトして
情報を買ってました。
 
 
これを他の学生や、親に言ったら
「ちゃんと授業出なさい!」とか
「貯金しなよ。どうせ詐欺だろ」とか
「学生ならもっと楽しいことしなよ」とか
そんな話になるでしょう。
 
 
こういう差で、常識の差も広がっていきます。
僕は基本的にコスパを意識するようにしました。
 
いらないものは削れるだけ削ります。
 
削って問題あるのでしょうか?
一度二度授業に出なかったら、将来が終わるのか?
 
ないなら、その時間で生産的な活動した方が
将来のためだと思う。
 
 
 
まず授業って、本当に聞く価値あるのか?
 
大学に限らず、高校とかもそうですが
その知識使うの? って知識とかありませんでしたか?
 
 
あったら、確かに役立つ可能性もありますが
それより優先度高いことあるよなーと思うようになりました。
 
僕は中学までは、授業は聞かねばならない!と思ってました。
けど、聞く意味あるのか考えた時に
なんか時間を浪費してるだけだなと感じました。
 
 
僕は、まずはお金を稼いで、時間も増やして、
余裕をどんどん増やしていくべきだと思っています。
 
そうすれば、自由な時間で好きなこともできるし
もっと上を目指すこともできますよね。
 
 
もちろん、上など目指さず
就職してたまに楽しければいい、という人もいます。
 
僕は、今の生き方が最高だと思ってますが
どこを見ているか、
つまり何をすべきかと考えるかは人によります。
 
 
 
善悪も必要不要も、価値も無価値も、
まあ時と場合によるよねって話です。
 
親の言う通りにした方がいい時代もあったのでしょう。
しかし、時代も状況も変わるのです。
 
場所と時代が変われば、常識は変わりますよね。
 
僕はこれからの時代に合わせて変わっていくべきだと判断したので
今までの生き方を採用しません。
 
 
 
結局は、
いいか悪いかに縛られてないで、
本当に求めている世界を知ったら快適でしたよということです。
 
 
我慢して世間体を取り繕うのと、
自分が幸せに生きていける未来を比較した時に
 
大事なのは後者じゃね? と判断したわけです。
 
 
だから自分とは違う価値観を拒絶するのではなく、
そういう生き方や考え方もあるのだなーとまずは知ることが大事です。
 
 
自分の善悪がいつでもどこでも通用すると思っていたら
僕は一生井の中の蛙でした。
 
別にまだまだ井の中の蛙なんですが
周りよりは大分見える世界が広がってます。
 
異なる価値観も文化も受け入れられますし、
何か1つに固執しません。
世界は広いですからね。
 
 
例えば、僕にとってはネットで知り合うとか
さらに情報発信をするのは普通です。
 
情報発信ビジネスは他と比べて
恐ろしいくらいに儲かります。
 
 
儲かってるやつは悪いことしてるとかも
ありがちな世間の価値観ですよね。
 
けど、その価値観ではない人って
いくらでもいるんです。
 
 
何億も稼いで、さらに上を目指して勉強して努力してる人と
つまらなそうにとりあえず批判して、自分では何もしない人と
 
 
どっちが魅力的だと思いますか。
 
昔の僕の周りは、そんなの無理だとか
何にしても諦めモードな人が多かった。
 
宝くじ当たらないかなーとか祈るだけだし、
会社に文句を言って家でストレスぶちまけるだけだし。
 
 
実際、稼げる人というのは魅力的である可能性が高いです。
もちろんそうじゃないケースもあるでしょう。
 
しかし、何の努力もなしに行ける世界ではないからこそ、
魅力が高い傾向にあるのです。
 
稼ぐというのだって、実は相手に価値を提供しています。
世間的に、売るのって嫌な感じですよね。
 
けど、何も売ってもらえないとしたらきつくないですか?
 
もし、電気を売ってもらえなかったら?
もし、パソコンを売ってもらえなかったら?
もし、知識を売ってもらえなかったら?
もし、食べ物を売ってもらえなかったら?
 
半端なく人生の難易度あがりませんか?
 
自分で、農作業も狩猟や採集も
釣りも料理も発明も
何から何までやることになるでしょう。
 
なぜ人は稼ぐのか?
お金が必要だからですよね。
 
ないと全然成り立たないレベルで、お金は必要ですよ。
 
 
 
 
正直、僕らは売ること自体に
悪だとか善だとかいう価値観はありません。
 
売って、その結果次第じゃないのかと。
いいもの売ればいいよね。
悪いもの売れば悪いよね。
 
それだけ。
 
 
善悪が視野を狭めていることを知っておかないと
自分以外を受け入れられません。
 
本当に大事なものを見失います。
 
 
だから様々なことを学ぶ必要がある。
 
 
例えば、ネットで勝手に物が売れる仕組みを使って
放置で稼ぐことができる時代です。
 
 
作家とかも、一度作ったものが勝手に売れる点では
働かずに稼いでいるので同じですね。
 
 
それに対して、「俺は働いてるのに。許せない!」といったって
仕方がない。
 
働かなくても価値を生めれば稼げる事実を受け入れないと。
 
 
サラリーマンの給料が低い理由の1つに
希少性の低さがあります。
 
要は代わりがいるということです。
耳が痛いかもしれませんが、これを否定できる自信はありますか?
 
 
に対して、知識やスキルがある人
イラストレーターや作家、
お笑い芸人やアイドル
 
 
こういう人は、価値が高いのです。
ただ絵を描いてるとか、ただ歌ってるだけではありません。
 
 
他にできないことができているわけです。
 
 
 
自分の提供できる価値は多いでしょうか?
 
頑張るから報われるわけではないのです。
限界を知って適切に動く必要がある。
 
 
 
将来的に生き残れて、
レバレッジがかかることで、
希少なことなのか?
 
 
これを考えないといけない。
 
 
情報発信をするスキルは
世の中に面白いものを広めていけるスキルです。
活かす技術です。
 
芸能人も、情報発信者ですね。
 
 
僕はネットを学んでいくのが効率的だと思ってます。
レバレッジがかかる上に、色々な産業と組める。
自動化もできる。
 
 
 
 
ダメだとか、いいとか悪いとか、すべきとか
 
本当ですか?
 
本当にできないのかを考えてみないと
自らが自らの可能性をどんどん潰していくだけです。
 
 
だから世界を知る。
事実を素直に受け入れる。
 
 
それができる人が勝ちます。
 
 
 
 
 
善または悪ではないのです。
どっちとも言えないものはあります。
 
賛否両論というやつですね。
 
 
 
友達が一人もいないことだって、
それは状況によって幸せか不幸かは変わるでしょう。
 
僕も何もしてない中学高校時代、一人は嫌でした。
 
大学になってもしばらくは一人のままでしたが
僕は一人で過ごしていても
 
希望を持って、
常に上を目指して突き進んでる時間は、
 
それまでの人生で最高だったと断言できます。
 
終わり。
 

 

 

と言いたいところですが、

実は善と悪という言葉自体に、僕はかなり怒ってます。

 

普段使うには便利な言葉ではありますが、

これは恐るべき概念です。

だいぶ忌々しいなと。

 

ブログでは書きづらいので、

クローズドな場所でのみ話します。

 

それでは、

またそこでメール書くなり

動画撮るなりするとします。

 

reminDO

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こそあどです。僕は大学生にして、本せどり、CDせどりで稼いだり
八時間バイトしながら大学通って、合計で100万円分を超える知識を得て情報発信中です。
 
僕は昔からビジネスのことを学んできたわけでもないし、
話すのも苦手だったし、
文章も『何言ってんのかわからん』と言われてきました。
 
でも結局は手品。
ライティングもマーケティングも知って、慣れるだけなんですよね。

 
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