あ とは

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あ、とは

日本語の五十音順において、

始まりの終わりにして終わりの始まりである「あ」という平仮名について僕らは物心ついた時期から知っているはずだけれども、

 

僕らが「あ」について、まさに「あ」そのものについては

語ることがあっただろうか。

冷静に「あ」について考える人間を僕は僕を除いて知らない。

 

書籍についてコメントをする人がいるとしても

「あ」についてはコメントをする人はいない。

 

「あ」は当たり前のように「あ」として受け入れられている。

この問題について誰も問題視しない。

問題か問題でないかがまず問題になっていない。

 

「あ」がなぜ「あ」なのかが僕らにとっては疑問にならない。

ならば「あ」は「あ」である必然性はどこかにあるのだろうか。

 

思えば、

大抵の人間が知っている「あ」について

大抵の人間が理解しないままに生きて死んでいくのである。

 

 

一億人以上に認知されている「あ」は、しかし重要視されていない。

まるで陰謀が潜んでいるかのごとく、揃いも揃って考えない。

 

つまり、実際問題僕らは「あ」について考えないように誘導されている。

「あ」以外について考えるように誘導されている。

大規模に、世界規模で。

 

 

仮に「あ」について考えることがあれば、

それは「あ」について考えるように誘導されているはずなのだから。

 

 

 

 

ということで、少し考えてみた。

 

あ行とあ段を背後に率いているこの文字は、

縦のつながりと横のつながりに富んでいる。

 

そう表現すると「あ」は孤独ではなく

まるでリア充のように感じられてくるから不思議だ。

 

というか「あ」は「あ行あ段」なのだ。

なんとも「あ」ばっかりで気恐ろしい。

 

「あ」を大量に並べてみるとどうなるか一つ実験してみよう。

ああああああ
 

ああああ

評価: 

あああああああああああああああああああああああ
あああああああああ        ああああああああああああ
ああああああああああ        あああああああああああ
ああああああああああ      あああああああああああ
ああああああああああ      ああ          ああああああ
ああ  ああああ                         ああおああああああ
ああ                               ああああああああああああ
ああああ      ああ      ああああああああああああああ      ああああああああ  あああああ     あああああ
ああああおあああ                     ああああああああああああああああ           あああああああ
あああああああ                                ああああああああ
あああああ              あああ      あ          あああああああ
ああああ                あああ      あああ        ああああああああ       ああ   ああああ   あああ 
あああ        ああ      あああ    ああああああ      ああああ
ああ        あああ      ああ      あああああああ    ああああ
あ        ああああ      あ      あああああああ      ああああ
あ      あああああ            ああああああああ      ああああ
あ      あああああ          ああああああああ        ああああ
あ      ああああ          あああああああああ        ああああ
あ       ああ            ああああああああ         あああああ
ああ                   ああああああ          ああああああ
ああああああああああああああ              あああああああああああああああああああああ    あああああああ
ああああああああああああああ        あああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

上記のものは「あ」を「あ」によって表現したアスキーアートである。

上のAAにおいては「あ」は大きな「あ」を構成する要素である。

 

この世の全ては「あ」から成り立っており

世界は「あ」になっているとか

 

「超あ理論」とか「世界あ仮説」とか

そんなのがあったら面白いが、

ジョークとしてさえ誰も考えなかっただろう。

 

 

それにしても、こんなに「あ」を並べてみると

「あ」には何というか、違和感を感じ始める。

 

ちなみに僕が好きな平仮名は「る」である。

 

そして僕は「あ」のことがさして好きではない。

 

たまに「お」と書き間違えることが

大学生になった2019年現在も、未だにあるからだ。

 

そして、手書きの場合は「ぁ」なのか「あ」なのかも判然としなくなる。

 

 

「る」と「ゐ」も、僕に書かせるとほぼ同一の文字になるが

「ゐ」は「る」と同じく、僕が好きな平仮名ランキングTOP100に入っている。

 

くるくるしている辺りが一見愛らしい。

 

ところで

「ゐ」は「うぃ」と発音するから、

Nintendo Wiiを、にんてんどーゐーなどと表現することもできる。

そしてそう表現する必要はどこにもない。

 

だが、「にんてんどーゐー」を見ていると「にんてんどー」を追いかける垂れ耳の犬のような微笑ましさがある。

 

ついでに「ゑ」について話すと

「ゑ」は「る」と「ん」に分解できなくもない。

そして「え」は「ニ」と「ん」に分解できなくもない。

 

以上のことから

「ん」と「え・ゑ」はどういう訳だかわからないけれども、

常に共にある存在だという可能性が示唆されている。

 

 

 

 

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しかし、たまに感じていたけれども、

残念なことに文字はそのどれをとっても

観察すればするほど不気味な形状をしているように思えてならない。

 

夜に漢字がびっちり張り巡らされた部屋にいたとして、

冷静さを保てるだろうか。

 

 

おそらく僕らは漢字にも、つまりは真名にも

それから生まれた仮名にも

恐怖を禁じ得ることはできない。

 

平仮名でも、例えば「あ」が部屋中に書いてあった場合

ゴキブリがいる以上に心臓に望ましくはないだろう。

下手をすれば死人が出る。

 

 

 

「あ」は紙や画面に収まっているから自然であり、自然体なのであり、

「あ」がその枠を出ることは不自然というよりは超自然的だ。

 

ドラえもんの「声カタマリン」のようなもので「あ」を作り

「あ」を街中に配置してみたらどうなるだろうか。

 

きっと不気味なオブジェとしてみられる。

「あ」は画面から出てしまうと、

テレビから出てきた貞子のような

虫かごから出てきた虫のような

 

そんな存在になると予想される。

 

孫子という古代中国の兵法書は

戦略研究学会による戦略論体系という書籍シリーズの第一冊目にもなっている。

 

孫子には「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」とある。

ならば僕らは文字について、

少なくとも「あ」についてはもう少し知ってみる価値があるのではないだろうか。

 

そう思って、僕は改めて辞書と百科事典を引いてみた。

 

 

 

そもそも

「あ」とは漢字の「安」を崩した平仮名の1種で

平安貴族らが和歌に興じる際に好まれたものである、とのことだった。

 

 

初めに「あ」があり、

「あ」は人とあり、

「あ」は「あ」であり「い」ではない。

 

 

そもそも、なぜ僕は「あ」について考えているのだろうか。

それが問題だ。

 

「い」ではなく「う」でも「え」でも「お」でも、

それ以外の何者でもなく「あ」が今回のメインテーマだ。

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これについては1つ言えることがある。

人はエベレストが世界最高の山だと知っているけれども、

第二位の山のことは知らない人は急増する。

 

「あ」はその点においてエベレストと同じ属性を備えている。

 

 

「あ」を「あ」たらしめているものは何なのだろうか。

実は「あ」によく似た変体仮名がある。

「え」の変体仮名は「あ」に見紛う。

 

 

人の場合、Aさんと全く同じ構造を持つ存在がいるとしても、それはAさんと言えるのか。

そんなことが考えられる。

 

だが「あ」に関しては、

見た目が多少変化しても、「あ」は「あ」である。

 

ゴシック体でも明朝体でも「あ」は「あ」であり続け、

「あ」は「あ」として認識される。

 

 

しかし、そもそも僕らは同じ「あ」を認識しているのだろうか。

他人が同じ色を見ているとは限らないように

「あ」も、同じ「あ」を見ているとは限らないのかもしれない。

 

 

そう考えると、

「あ」は人の数だけあるのかもしれない。

 

そんなことに気づいた。

 

 

 

 

 

僕が初めて「あ」と出会ったのは、きっと1999年の第一四半期だったのだろうと思われる。思われると表すのは、人間は3歳以下の記憶を保持できないから、見たわけではなく、憶測によるものだからである。とはいえ、現代は街を歩けば膨大な視覚的並びに聴覚的情報があり、見ないことの方が難しいだろう。それは雲ひとつない空を真の意味で見つけるくらいには難しいだろう。であるからして、第一四半期なんて90日もあるのだから、一度くらい見たはずだ。

 

 

 

 

 

世の中には

0と1のみ理解できる存在がいるわけだけれども、

ならば「あ」と「ぁ」だけで理解できる存在がいても

別におかしなことはない。

 

「あ」の可能性は実に大である。

 

 

「あ」と同時に「あ行」の可能性も大きい。

 

愛植男とすれば名前のようだ。

これは他の行でもいけるし段でもいける。

 

 

火姫九華娘とか

緋沙汰奈とか

立伝人とか

 

ラリるレロとかは、なかなか狂気じみたキャラクターのようだ。

わをん は犬の名前に向いている。

揶揄代は、クラスに一人はいる嫌な女子のイメージだ。

 

 

 

 

 

「あ」は大きな影響力を持っており、

五十音図の5分の1は、「あ」の眷属のようなものだ。

 

例えば「か」は、ローマ字で表記すると「ka」になる。

 

そう。

もう気づいた人も多いかもしれない。

 

 

「あ」に右半身を乗っ取られているのだ。

 

 

 

「あ段」の文字は、全て「あ」の影響下にある。

彼らはどこに逃げても「あ」からは逃げきれない。

 

まるでマイクロチップを埋め込まれたかのように。

 

「あ」は日本語の世界において、大きなシェアを誇る偉大なる文字だ。

 

 

続く


 
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中学生まで

_(┐「ε:)_< 神よ、お助け〜

 

高校生の時
( ´_ゝ`)将来? 友人? 興味ないね 
 
 
∩(´;ヮ;`)∩あ”あ”あ”あ”!!? 

 

大学生になった頃

( ^ω^)祈る効果なさすぎワロタ
神⊂


 

 
( ^ω^)ここに神があるじゃろ
⊃)神 (⊂




( ^ω^)これを
≡⊃⊂≡


 

( ^ω^)こうして
⊃ .. ⊂

‘∵‘:’;

 

( ^ω^)三( ^ω^)動いたら

 

 
\\٩( ^ω^)و //

こうなった件
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reminDO

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こそあどです。
僕はずっと自分のやりたいことが見えないまま生きていました。

大学一年生の夏前までくすぶった時、
僕はビジネスの世界と、
億を稼いだ起業家たちと出会って

思考やマインドセット、知識という武器を得て
今は厳しいけど楽しく上を目指しています。


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